猫の最後の話


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写真は2019年の11月中旬のものである。日向ぼっこをしている写真を撮りに行き、気付いてこちらに駆け寄ってくる様を映したものである。
基本的にこのブログは創作活動にまつわる事象を書き連ねていく場所である。
作者の身の回りに起きたことと作品は直接関係ないからである。
見る人に余計な情報は与えない、これは創作活動の鉄則と言っていいだろう。たとえ私のような末席の者でもだ。

が、敢えて今回は飼い猫の話をしようと思う。
家の猫がどうやって家に来て、どうやって今の暮らしをするようになったかを詳細に語るとその部分だけで軽く1000文字は越えてしまう。概要だけを掻い摘んでお話ししよう。
元々は迷い子猫でそれを病院に連れて行って避妊手術と予防接種をして家の猫となった。
最初は撫でてもカチコチにこわ張っていたが毎日ご飯と水を上げてブラシをかけてあげるうちに顔を見ただけで、物音がしただけで寄ってきてくれるまでになった。
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猫は最初は外飼いだったのであるが、事情により奥の部屋を猫部屋にできる事となったので家の中で飼うことになった。
奥の部屋のドアは鍵が壊れておりちょうど猫が体当たりをすると開いて好きな時に外に出られるようになっていた。
猫は頭がいいので押戸や引き戸の開け方を簡単に覚えてしまうのである。
こちらが暇なときに見に行っても自分が乗り気じゃないとあまり遊んではくれず、自分が遊びたい時にはドアをノックして遊びを要求するするツンデレ猫なのである。多分猫というものはそうゆう生き物なのだろう。
そんな生活を長年していたがついにその時がやってきた。急にご飯を食べなくなってガリガリになってしまった。
人生の大半を共にしてきた猫である。そろそろなんじゃないかという気はしていた。
ご飯を食べなくなった時用に違う味のキャットフードも用意してあったがそちらも食べなかった。
普段虫歯になるのでおやつやウェットフードは与えていなかった。おやつも煮干しや鰹節などをあげていた。
もっとも缶詰の方はスープだけ飲んで固形物はあまり食べないのであったが。
虫歯を気にするよりも全く食べない方がやばいので買ってきて与えた。
最初はおいしそうに食べていたのだが、次第に残すようになり最後には全く食べなくなった。
田舎なので動物病院は車で一時間以上、しかも私には車はなくバスで猫を運ぶこともできない。最初の避妊手術は私が連れて行ったものではないのである。
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水は飲んでいたが食べ物は全く食べない。おやつを口に近づけるとモグモグ口を動かしていた。多分上手く咀嚼できなくて食べ物が食べれないのだろう。無理やり食べさせたり点滴をうてばもう少し長生きできたのかもしれない。が私はそうはしなかったのである。
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夏は食欲が無くなっていたので少し慣れればまた食べてくれるんじゃないかと思った。少なくとも去年まではそうしていた。
この判断が甘かった。食べなかった初日にすぐに知り合いに頭を下げて病院に連れていってもらうべきだった。
猫は体調が優れなくても触って欲しいときは近づいてゴロンと私の足の甲に頭を置いた。

最初の異変に気付いて僅か十日ほどのこと、つまり今朝である。猫が深夜2時に押戸を開ける音が聞こえたので外に出てみると用水のそばの石の橋の上で寝ていた。
家の猫は元々が迷い猫でもベッド以外ではほとんど寝ないのである。
当然すぐに抱っこしてベッドまで連れて行った。抱きかかえても運んでも、いつもは無言だがその時はか細い声でニャーと鳴いた。
それが私と猫の最後のやり取りとなった。
今思えばこの時に猫のベッドを自分の部屋に置くか隣の部屋に置き、引き戸を開けて見守っておくべきだったと強く後悔している。
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朝起きて気が付くとまた押戸が開いている。いつもはドンと勢いよく開けるので下手をすると寝ていても気づくのであるが、そろりと押して開けて行ったのだろう。
すぐに探すがさっきの橋の所にはいない。もともと庭から出ることはほとんどない猫なのでそんなに遠くへは行ってないはずだ。
数時間探すが見つからない。
諦めて洗濯を始める。洗濯をしていると一昨日までは猫が押戸を開けて出てきて邪魔をしきたが今日はそれもなかった。
洗濯機の音を聞いて帰ってきてくれることを期待していたのかもしれない。
ふいに枯れた用水の溝に隠れているのではという思いがよぎった。
サンダルのまま用水の付近を探すと用水の角にピンク色の物体が見えた。家の猫の首輪だ。
猫があんなところに隠れている、最初はそう思った。
しかし近づいてよく見ると枯れた用水路の角は少し深くなっており底に泥水がたまっていてその中に猫が半分浸った状態で浮かんでいたのである。
その角には金属の蓋があり真上からは入れない、つまり自ら横の用水路を伝ってその中に身を投じたのである。
こんなことがあるだろうか。
わたしは大声で猫を呼びすぐに金属の蓋を投げ捨てた。既に息は無かった。
走って段ボールと新聞紙を取りに行き猫を引き上げて庭で猫を洗って泥を落とした。
数週間前までは太目のぽっちゃり猫だったのが普通の猫よりも痩せたガリガリ猫になってしまっていた。
私は猫に謝りながらタワシで猫の体を洗った。
田舎なのでペットを焼却する施設はない。みな土葬なのである。
幸い家には庭がある。庭の一角に70~80cmの深さの穴を1時間以上かけて掘った。黒い土の庭だが掘り進んで別の地層に届いた。
新聞紙にくるんだ猫の遺体をその中に置いて土をかけて行った。

家の猫は物音がすると押戸を開けて出てくる。そんな記憶のおかげで穴掘り・埋葬作業中にもドンと猫が飛び出てくるような気がした。
猫を今埋めようとしているからそんなことあるはずはないのだが。

庭にある角の丸った石を拾い目印を作った。穴を掘るときに引き抜いた雑草の花とその周りの雑草の花を生けた。
私が見ていないときに家の猫は雑草の中を気ままに散策していたに違いない。

猫を発見してから埋葬するまで私は目に涙を溜め鼻水をたらして独り言を言っていた。
今こうやってこの記事を書いている最中もそうである。
しばらく猫の事を思い出す度にそうなるであろう。
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ネットには猫のかわいい写真はいっぱいある。私のHDDの中にももちろん沢山ある。
かわいい猫を飼う覚悟を決めたときに最後の事をある程度予想すると思う。
だが、想像以上につらく、悲しく、突然やって来るのである。
私の場合は自分で飼い始めたのではなく成り行きで飼うことになったのでなおさらである。

猫は何か月もかけて、少しずつ動けなくなって亡くなるのだと思っていた。
家の猫は死ぬ三日前までボイラーの上や猫部屋の少し高い台の上に上がっていた。十日前にはご飯をあまり食べなくなったこと以外は普段通り走ったり飛んだり元気に動いていて、いつものかまってちゃんのお邪魔猫だった。
ひょっとしたら、あの時すぐにウェットフードとおやつに切り替えていたらなんとか持ちこたえて、あと2~3年は生きれたかもしれない。
今までの経験や様々な要因が判断を誤らせていたように思う。
人生の一番つらい時期だけ一緒にいて少し光が見え始めたところで死んでしまうなんて。こんなに悲しいことがあっていいのだろうか。
これからもっといい思い出が作れたかもしれないのに。
突然に現れて突然に去ってしまった。
床におしっこしたぐらいであんなに怒るんじゃなかった。もっと作業部屋に入れてあげて一緒に遊べばよかった。
私は大バカヤローだった。
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もしこれから猫を飼おうという人が居たり、現在初めての猫を飼っている人には何かの足しにはなるかもしれない。なんの足しにもならないかもしれない。

このブログのルールを破って猫の記事を書いた。
私以外の人に家の猫の事を知って欲しい、ネットに家の猫を事を保管したい、そのように思ったのかもしれない。自分でもよくわからない。
ただ分かることは明日から誰も睡眠の邪魔をしない。一緒に洗濯物を干してくれる者もいないのである。

6月11日追記
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昨日の今日のことでまだ猫の気配を感じることがある。
そんな中、裏庭の掃除をしているときにふと下をみた。
これは水道工事の時に猫がコンクリートに付けた足跡である。今にも足音が聞こえてきそうだ。
ゴミがつかないようにシートをかけてあったはずだが好奇心旺盛な家の猫がシートをはがしてのったものである。
私の記憶と共に風化してしまうのであろう。今日そのことを思い出してその前に写真に収めておいた。
探せばまだどこかにあるのかもしれない。

2020年6月12日追記
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机から数枚写真が出てきた。その中の一枚である。
机に裸のままいれてあったので一部が欠けており、古いスキャナーの内部に埃がついていたため白いドット状の斑点があったのだがPhotoshopのスポイト修復ブラシで補修した。
普段はイラスト・漫画・CGの仕上げのみに使うのでこういったPhotoshopらしい使い方はほとんどしない。少し新鮮な気分だ。
これはまだ私が猫と出会う前の写真である。
裏の物置で撮ったものと思われる。
まだ子猫の雰囲気が残っている。
この頭を何万回も撫でたのだろう。
猫の頭のいい匂いがしそうである。
おそらくこれが家の猫の一番古い写真だと思う。

・・と思っていたらさらに古い写真が出てきた。
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一緒に住む前に一度、子猫の時に会っていたのだった。
意外と記憶がいい加減だったことがわかる。
本当に小さくて軽くて、ふわふわしていて妖精のような生き物だった。
左前足を前に出して座る癖はずっと変わらなかった。最後に見たときもこのすわり方だった。
この時にはまさかあんなにぽっちゃり猫になったり、こんなに長い間一緒に暮らすことになるとは思ってもいなかったのである。
2020年6月15日追記
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家の猫には私と暮らす前からついている名前があったが、私からは普段にゃんことかにゃんこちゃんと呼ばれていた。
怒ったりしっぽ踏んづけたりしてもすり寄ってゴロゴロしてくれた。
お互いに迷惑をかけても許しあえるのが友達だとしたらにゃんこは友達だった。
多分私にここまで懐いて、一緒にいようとしてくれる猫はもう現れないだろう。

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